寛政6年(1794年)突如として現れた写楽、
その生没年は未だに不明である。
何の前ぶれもなく発表された作品は、
誇張された描写が目に飛び込んでくるという前例のないもので、
わずか10ヶ月余りの間に、142点もの浮世絵を世に送り出し、
1年にも満たない活動は余りにも短く、現在でも謎が多い。
北斎の「神奈川沖浪裏(大波)」や「凱風快晴(赤富士)」は、
見た瞬間に記憶に残る強い造形をもっている。
70年にわたって浮世絵の全てのジャンルにおいて
第一線であがき続けた巨人である。
70歳を過ぎてからの『富嶽三十六景』、『諸国滝廻り』などの風景画は、
合理的な空間構成・動感と緊張感に富む構図など、
円熟した北斎でしかなしえなかった世界観である。
歌麿は、江戸時代を代表する浮世絵師のひとりである。
浮世絵の黄金期に、美人画絵師として活躍をした。
歌麿の美人画が高評価を得ていたのは、
描かれた女性が美しいということだけではないだろう。
歌麿は、女性の顔に気持ちや心映えを込め、
表現することができた。
春信は、錦絵(多色刷木版画)の創始期に活躍した絵師で、
その後の浮世絵の発展に欠かせない人物である。
他の浮世絵師に比べると、作品の残存数が極めて少ない。
また、主要な作品のほとんどが海外に所在している。
春信は、美人画を得意とした。
初代・歌川国貞(3代目・歌川豊国)は江戸時代後期の浮世絵師で、
時代を代表する浮世絵師の1人である。
作品の数は、浮世絵師のなかで最も多く、
その作品数は1万点以上に及ぶといわれている。
広重や国芳をおさえて当時人気№1を誇った人物である。
美人画や役者絵など「江戸文化の全て」を描き、
浮世絵界に大きな影響をあたえた。
広重は各地の名所や宿場に取材し、
それを抒情的で風情のある図に仕立てる名人である。
はじめは、役者絵・美人画・武者絵など多彩なジャンルを手掛けたが、
北斎の『富嶽三十六景』に刺激を受けてか風景画を描く。
天保4年(1833年)頃に出した保永堂版『東海道五拾三次』以後、
風景版画を多く手掛けていることから、
この作品が広重の絵師としての方向性を決定づけている。
作画期は文化年間(1804年~1818年)の中期から没年に及び、
英泉の作域はきわめて広い。
代表作とされる作品は少ないが、
歌川広重とともに描いた『木曽海道六拾九次』をはじめ、
風景画・美人画など多くの作品を手掛けている。