歌舞伎役者を描いた風俗画の総称で、舞台姿を主に、楽屋や街頭、
家庭内などにおける日常の姿も扱われた。
また、役者が没したときに売り出された死絵(肖像に没年月日、
享年、辞世などを添える)も見逃せない。浮世絵版画が定着する
元禄年間(1688年 ~1704年)以降、美人画と並ぶ重要な分野と
して独立、発展をみる。
18世紀後半から写生的な描写が試みられ、歌川豊国、東洲斎写楽、
歌川国貞らが個性的な作風を競った。
江戸に浮世絵を創始した菱川師宣は、木版画を新しい表現媒体と
して生命力にあふれる美人像を確立、以後美人画は浮世絵の主流
として定着した。
浮世絵美人画は、遊女を中心として、芸者、水茶屋の女、市井の
娘や女房に及ぶほか、女方の歌舞伎役者や少年など男性の麗姿を
まで対象とし、18世紀末の喜多川歌麿は、美人画の第一人者と自
負していた。
美人画を得意とした江戸の浮世絵画家としてはほかに、錦絵期の
鈴木春信、葛飾北斎、歌川豊国、歌川国貞、渓斎英泉らがいる。
風景画には、特定の土地の風光の美とそこに営まれる人々の暮し
ぶりを紹介しようとした名所絵と、旅する人の目で宿駅や道中の
景観と風俗とを描いた道中絵の二様があり、いずれも人事と深く
かかわりをもった人間臭い風景描写を特色としている。
奥村政信らによって提唱された、浮絵(遠近法を強調した絵)を
きっかけに風景画のテーマは一気に人気となった。
折しも十返舎一九の「東海道中膝栗毛」のヒットにより葛飾北斎
や歌川広重といった風景画家が各地の名所を描いてその地位を不
動のものとした。
群像表現に大判二枚続や三枚続は、最適な表現方法である。
大画面に安定感と表現の幅、そして臨場感などが集約される。
役者絵の一枚絵では、人物の表情と迫力などがインパクトとして
目に飛び込んでくるが、役者絵の三枚絵は、舞台の一場面の切り
取りにより、あたかもここで演じているかのような臨場感を感じ
ることが出来る。